私の家のテレビに日本テレビが映るようになって、プロレスを見ることが出来るようになった昭和44年。
実力的には、ジャイアント馬場の全盛期も終盤に向かっていた。言い換えれば、円熟期に差し掛かった時代。
当時の馬場のライバルは、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、そしてジン・キニスキーだったと思う。
ブルーザー&クラッシャー、ザ・デストロイヤーも超一流レスラーだったが、ジャイアント馬場とは身長が違い過ぎるので、ライバルとしては、ちょっとだけランクが下・・・と言って良いと思う。
インターナショナル選手権者時代の馬場からタイトルを奪ったのは、ブラジルとキニスキーの二人だけ。
歴代でインター王者になった外人レスラーも、ルー・テーズ、ドリー・ファンク・ジュニア、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンと、合わせて6人しかいない。
ブラジルはヘッドバット、エリックはクローと、小学生にも分かりやすいフィニッシュホールドがあった。
そして何より、圧倒的なヒールテイストを放っていた。インターナショナル選手権試合は、ほぼ毎試合が流血の大乱戦だった、と思う。
対してキニスキーは元世界チャンピオンで、ラフファイトではあるが、ヒールではなかった。
いわゆるコスチュームも普通のジャージのようなもので、しかしこれがシンプルで格好良かった。本当に、アスリートという感じ。
ブラジルは試合開始前の花束贈呈で花をムシャムシャ食べていたし、エリックはコールされる時に不敵な笑みを浮かべてナチス式の敬礼をしていた。
キャラクターがハッキリしていた。
だから、やっぱりキニスキーはブラジルとエリックとは同じ括りではなかった。
~~~~~~~~~~
当時のプロレス専門誌は、アメリカのプロレス専門誌に掲載されている「プロレスラーランキング」を毎回紹介していた。
ちなみにランキングは、
第1位・・・ドリー・ファンク・ジュニア
第2位・・・バーン・ガニア
第3位・・・フリッツ・フォン・エリック
第4位・・・ブルーノ・サンマルチノ
第5位・・・ジャイアント馬場
第6位・・・ジン・キニスキー
第7位・・・ボボ・ブラジル
といった感じだった。極めて順当だと思う。
キニスキーがNWAの世界王座だったのは、1966年の1月から1969年の2月までの3年間。
アメリカンプロレスの一つの全盛期、黄金の60年代に君臨したチャンピオン。
キニスキーのような大型でパワフル、そしてラフにも強いレスラーと言えば、キラー・コワルスキー、ドン・レオ・ジョナサン、ウィルバー・スナイダー、ゴリラ・モンスーン・ジョニーバレンタインといったところ。
そういう本当に強いレスラーがいて初めて、様々なキャラクターのレスラーが存在出来たと思う。
日系の田吾作レスラー、ナチス系レスラー、怪奇派レスラー、先住民系レスラーなどなど。
古き良き時代の、プロレスの景色。「1984」のWWEの全米侵攻など、思いもつかなかった時代。
~~~~~~~~~~~
昭和45年12月、馬場をバックドロップで破り、インターナショナル選手権を奪取した試合は、当時小学4年生だった私にとって衝撃的だった。
衝撃的でもあったが、大きな馬場がバックドロップで見事に投げられたシーンは、美しくもあった。プロレスの試合の中で、目に焼き付いたシーンの一つとなった。
このコラムを書くに当たり、この時の試合をYouTubeで見返してみた。
キニスキーは正攻法でチャンピオンとなり、ベルトを巻かれて誇らしげに手を上げていたけれど、リングには何か物が投げ入れられていた。
戸惑う、キニスキー。
前NWA世界チャンピオンにも、何のリスペクトもなかった、当時のプロレスファンなのであった。


コメント