まだ見ぬ強豪。これは昭和のプロレス雑誌に、しばしば登場していたフレーズだった。
そして昭和45年頃のスパイロス・アリオンは、まだ見ぬ強豪のナンバーワンだった。
まずは、宣材写真が良かった。
少しパーマ気味のスッキリとした髪に、若々しく端正な顔立ち。
引き締まった筋肉質の体で、ファイティングポーズをとっていた。
表情は少し笑みを浮かべた感じで、映画俳優に見えないこともなかった。
ニックネームが「ギリシャの新星」だったし、リングネームの「スパイロス・アリオン」という言葉の響きも良かった。
ニューヨークでベビーフェイスとして活躍していたので、ブルーノ・サンマルチノの後継者なのか?、などと想像もした。
今さらだけど、ブルーノ・サンマルチノも期待外れのレスラーの代表的存在だった。
マディソン・スクエア・ガーデンの帝王であり、リングネームの最高傑作「人間発電所」も、期待が掛かり過ぎた原因となった。
「人間発電所」というスケールの大きなリングネームに反して公称182cmでは、ジャイアント馬場に対すると、あまりに小さかった。
馬場とでは、ベビーフェイス同士の試合になってしまったし。
アリオンはサンマルチノと同じ筋肉系のパワーファイターだが、身長は190cmはありそうだった。
そして、初来日を果たしたスパイロス・アリオン・・・。
まずは、見た目が写真と大違い。
オールバックに見えた短髪は、中途半端に前髪があった。
もみあげを、何であんなに長くする必要がある?
明るく若々しかった眼差しは、どんよりと暗かった。
笑みを浮かべたような表情は、極めて不機嫌そうに変わっていた。
さらにバキバキに見えた筋肉質の上半身は、腹の辺りがたるんでいた。
そして下半身は予想外、まさかの黒のロングタイツ。これは、オッサン臭かった。
これほどまでに、写真と実物が違うとは・・・。何年前の写真だったのか。
試合内容の低調さを指摘されるけど、当時のアリオンはベビーフェイスだったから、日本でのファイトスタイルに迷いがあったのでは、という同情はある。
日本では、ヒールという意識だったと思う。ところがタッグパートナーが、あのミル・マスカラスだったから。
マスカラスはヒールを拒絶して、マイペースを貫いた感じだった。
タッグマッチではマスカラスの顔を見ながら、「ここは、やんねぇのかよ」「わかったよ・・・」みたいな、歯切れの悪いパフォーマンスだった。
しかし元々、アリオンにヒールのキャリアはあったのだろうか?
アメリカンプロレスは、ヒールが試合を引っ張る。
引っ張る能力が要求される。
だから良いヒールは、良いベビーフェイスにもなれる。
当時のボボ・ブラジルやフリッツ・フォン・エリックのような、一流のヒールとして試合を引っ張る能力、それがアリオンには無かったわけだ。
だから馬場も試合の中で、アリオンを引き上げてやることは無かった。
それでは、スパイロス・アリオンが日本のマットで、ベビーフェイスとして振る舞っていたら、どうだったのか。
マスカラスや、ビル・ロビンソンのように。
ひょっとするとアリオンへの期待の大きさは、当時国際プロレスでベビーフェイスとして大活躍だったロビンソンに匹敵する、外人レスラーの出現を期待したものだったのかもしれない。
マスカラスは成功したが、アリオンではロビンソンに匹敵するテクニックは無かった。
パワーも売りにするほどではなかったし、動きもモタモタしていた。
考えてみれば、ロビンソン級の実力者なんて、なかなかいるもんじゃない。
ニューヨークでは当時、ヨーロッパ移民系の美男レスラーが多かったが、その中の一人に過ぎなかったわけだ。
ところでアリオンのウィキペディアで、『「ザ・ゴールデン・グリーク」の異名を持ち』って書いてあるが、「ザ・ゴールデン・グリーク」は昭和初期の大レスラー、ジム・ロンドスのことだから。
大レスラーでも言い足りない、飛んでもないスーパースター。
プロレスの歴史の中で、初めて女性ファンが熱狂したレスラーがジム・ロンドスだ。
やっぱり、ギリシャ人は男前が多いのだ。



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