アントニオ猪木VSビル・ロビンソンが決まったときの興奮といったらなかった。
新日本プロレスを設立後の猪木のビッグマッチと言えば、
昭和47年の猪木VSカール・ゴッチ、昭和48年の猪木&坂口VSテーズ&ゴッチ、昭和49年の猪木VSストロング小林、猪木VS大木金太郎、そして昭和50年の猪木VSルー・テーズ。
つまり、日本人選手とテーズとゴッチの絡み中心だった。
もちろん通常のシリーズでは、アンドレ・ザ・ジャイアントとタイガー・ジェット・シンが活躍していた。
しかし、日本プロレスを離れ、NWA系の一流レスラーを馬場に押さえられていた状況で、ドリー・ファンク・ジュニア的なテクニシャンと猪木の対決は、見果てぬ夢みたいなものだった。
アンドレもシンも素晴らしいレスラーだったけど、テクニシャン同士の対決を見たかった。
まさにロビンソンは、猪木と闘わせたいレスラーのナンバーワンだった。
昭和50年12月11日、猪木VSロビンソン。
同日の全日本プロレスは、超一流レスラーを大挙来日させてのオープン選手権の開催。そのうえオープンだからと、猪木にも参加を呼び掛けた。
当時の新日本と全日本の状況を、端的に表した日となった。
さて猪木VSロビンソンの試合内容だったが、12月という季節ながら、私の手のひらは汗でぐっしょりと濡れた。
冷静に振り返ると、猪木のねちっこいレスリングに対して、ロビンソンは鮮やかなレスリング。
ロビンソンのスタイルは、初代タイガーマスクに通じるところがあった、と後で感じた。
ランカシャースタイル、スネークピット。
そしてどちらが有利不利というよりも、ロビンソンが格好良く見える展開だった、と思う。
もう一つ言えるのは、よく名勝負として比較される、猪木VSドリーはどうだったのか。
ドリー・ファンク・ジュニアはNWA世界王者時代、ヒール王者だった。技でヒートを買っていた。
だから猪木VSドリーで、ドリーは技で、存分に猪木の良さを引き出していたと、後年になって思ったものだ。
対してロビンソンは、国際プロレスでは外国人レスラー初のベビーフェイスという、異例のレスラーだった。
今思えば、ロビンソンは自分が良く見えようとばかりしていた感じだった。そして一本目は、地味な逆さ押さえ込み。
そして二本目は時間切れ寸前の劇的な卍固めで、やっと猪木は1-1に持ち込んだ。
猪木は怒りの表情で、ロビンソンに卍固めを決めたように見えた。
これも後で考えるに、ロビンソンは本気で1-0の時間切れでの勝利に持っていこうとしていたのではないか、とも見える。
さらに考えると、ずっと日本ではベビーフェイスだったロビンソンが、初めてヒールを演じたラストの数分だったのかもしれない。
なんちゃって、こんなことを考えるとは、私もミスター高橋の影響か?
そんな分析よりも、あの日の手のひらの汗が、本物なのだ。



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