迫力とスリルと美しさ、うっちゃりと吊り出しは若浪にて極まれりなのだ

うっちゃり

昭和の土俵を令和と比較した時、最初に上げるべきは、うっちゃりと吊り出しが減ったことだろう。

うっちゃりと吊り出しは、「土俵の華」だと思う。見る者は目を奪われ、力士の凄さに感嘆する。

その第一人者と言えば、若浪を置いて他にない。

吊り出しに限れば、肥州山や明武谷も代表的な力士で、両力士ともに長身で筋骨隆々、「起重機」という異名が付いていた。

身長が178㎝だった若浪の吊り出しは、起重機のように長身を使った、引っこ抜く吊り出しではない。

体重は100kgそこそこだったので、玉の海のように柔軟な反り腰で、腹に乗せる吊り出しでもない。

うっちゃりの反り腰がある若浪は、軽量なのに握力も90kgと怪力だった。

柔軟さと力強さと、どちらも兼ね備えていた若浪。小柄だったけど。

まさに唯一無二の型を持った、うっちゃりと吊り出しを見せていた。そして、観客を魅了した。

私が子供の頃の記憶に残るのは、大相撲中継で「わ~~か~~な~~み~~」と館内に響く、どこかのオヤジの声だった。その声が響くと、館内はどっと湧いた。

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昭和の土俵では力士はそれほど太っていなかったが、それでも義ノ花という170kg前後の力士はいた。

その義ノ花を相手にしても、若浪は正面から吊りを仕掛け、振り回して、そして見事にうっちゃた。

後に200kgを超えた高見山も、若浪が現役の頃は160kgぐらいだったか。やはり、若浪にうっちゃられている。

大きい力士が吊られたり、うっちゃられるのは壮観だ。大相撲の醍醐味とも言える。

若浪は、見た目もまた何とも良かった。

怪力とはいえ、筋骨隆々というよりも、ナチュラルな感じの体付きだった。

そして顔付きが、力士にならなかったら何かの職人さんになっていただろうなぁ、と思わせるものだった。

頑固そうだが、シャイな雰囲気もあった。酒豪であり、歌もプロ級。太い眉にモミアゲ、そして胸毛がトレードマーク。

昭和43年3月場所で、平幕優勝を果たしている。

この場所は大関豊山、小結麒麟児と3人、12勝2敗で並んで千秋楽を迎えた。

先に13勝2敗とした平幕の若浪は、支度部屋に押し寄せる報道陣に向かって、「お願いです。そっとしておいて下さい」と言って、毛布を被って横になった。

豪快無比な相撲を取るが、この純情さが若浪らしかった。

豊山も麒麟児も星を落として、若浪の優勝が決まる。

この場所は、現役の晩年でもあった豊山が、ついに優勝するかと注目された場所だった。

準優勝は8回を数えた、人気大関豊山の悲願の初優勝のシナリオを、多くの大相撲ファンが予想していた。

ちなみに大麒麟となって大関にまでなった麒麟児は、以後も優勝することは無かった。

昭和43年3月場所は、運命のいたずらを思わせる場所となった。

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翌年、若浪は十両に陥落する。

足腰の良さと怪力を見込んで、若浪の周囲でプロレス転向をすすめる人もいたという。

あの豪快なうっちゃりは、プロレスで言うところの、フロント・スープレックスに似ていたし。

まだ28歳だった若浪は、プロレスでも成功したかもしれない。

しかし十両でも、土俵入りにおける若浪への拍手は大きかった。

前述した、「わ~~か~~な~~み~~」と叫んでいたオヤジさんは、十両でも叫んでいたのかもしれない。

若浪は、プロレス転向を思いとどまった。

十両陥落の場所で負け越した若浪は、翌場所に十両優勝し、十両2場所で幕内に復帰。その後2年半幕内を努め、小結復帰まで果たしている。

ところで、若浪のウィキペディアで気になるところがある。

「立浪から前廻しを取るように指導されて、若浪の左四つが形成されていった」、という記述だ。

前廻しを引いての、吊り出しには疑問がある。廻しは深めというか、一番力が出るところを引かないと、うっちゃりも吊り出しも出来ないはずだ。

余談になるが、うっちゃりの時の勝負判定は難しい。

当時の解説者、玉ノ海梅吉さんや神風正一さんが「まだ胸が合ってますねぇ」「ここで体が割れましたねぇ」「もう体が無いでねぇ」、と言っていた。

押し出しVS突き落としのような、土俵の外に足が付くのと、もう一方が手を付くのを判断するよりも、高度な勝負判定となる。

大相撲の迫力とスリル、そして美しさは、うっちゃりと吊り出しに極まれり・・・なのだ。

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