あれは本当に悔しかったなぁ、ファイティング原田の三階級制覇ならず

ボクシング

あの日の悔しさは、今も忘れられない。私は、小学3年生だった。

ひょっとすると、人生最初の悔しさを味わった日だったかもしれない。

これは以前にも書いたけれど、我が家のテレビで全ての民放が映るようになったのは、昭和44年の夏のことだ。

最初のボクシングの世界タイトルマッチは、昭和44年9月に行われた西城正三VSホセ・ルイス・ピメンテルと記憶している。

だから昭和44年7月に行われたファイティング原田VSジョニー・ファメションは、ギリギリ間に合わなかったのか、実際に見た記憶はない。

しかし当時愛読していたプロレス&ボクシング誌上で、明らかなホームタウンディシジョンだと書き立てられていた。

その紙面に、ファメションがダウンしている写真が載っていたけど、今でも鮮明に覚えている。

ちょっとしたダウンじゃない、いわゆる「痛烈なダウン」だった。それも、3度も。

ファイティング原田は19歳でフライ級の世界王座を獲得し、そして「黄金のバンタム」、エデル・ジョフレを破ってバンタム級の世界王座を獲得する。

バンタム級で、4度の世界王座防衛。4度は、当時の日本ボクシング界の世界王座防衛記録だった。

原田は、特別な存在だった。

原田=ラッシュ攻撃。とにかく連打連打のボクサーで、高度経済成長期の日本を象徴するようなボクシングスタイルだった。

ボクシングの世界タイトルマッチは、当時は本当に国家的行事。三階級制覇なんて、言葉自体も初めて聞くものだった。

小学3年生の私にとって、今までで一番凄いことが起こる、歴史的瞬間というものを目の当たりにするとの意識があった。ドキドキしていた。

昭和45年1月6日、ファイティング原田が勝つと信じていた。

三階級制覇という、よく分からないが、凄いことが起こると信じて見ていた。

原田は攻めた。対するファメションの典型的なアウトボクシングが、ズルいものに見えてしまう。

そして14Rまで戦って、原田は前回とは逆に、痛烈なダウンでロープの外に放り出された・・・。

あの時、原田はボロボロにされ、完敗したとの記憶が残っていた。

大きなショックを受けた。そして、プロスポーツの厳しさと切なさを感じた。

ところが今では、YouTubeというものがある。原田VSファメションも、一部は見ることが出来る。

見てみると、何か腹立つ。

10Rに原田の右が見事にクリーンヒットし、ファメションがぐらつき、原田は一気にラッシュしようとした瞬間、レフェリーはもう止める体勢に入っている。

そして、本当に「あっちに行け!」みたいな感じで、原田を突き放す。

ファメションのダメージを、極力少なくしようとしている・・・ように見える。原田は、大きなチャンスを失っていた。

そんな目で見ると、原田のダウンはカウントが速くも感じる。

う~~ん、あの日の悔しさが、甦ってきたな・・・。

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