ミスターG、長嶋茂雄は昭和という時代の象徴、唯一無二の存在なのだ

長嶋茂雄

読売巨人軍のV9は、昭和40年から昭和48年まで。

長嶋茂雄の現役最終年となる昭和49年も、最終盤まで優勝を争っているので、昭和40年代は丸ごと巨人を中心にプロ野球は回っていたと言って良いと思う。

長嶋は、大事なところでよく打った。そして、日本シリーズに強かった。

秋空の下のデーゲーム。風の匂い。傾いていく太陽と、長くなっていく影。そんな日本シリーズの記憶は、長嶋とともにあった。

長嶋は打つだけでなく、守備も派手で格好良かった。新聞の見出しで、「長嶋、超美技」というのが多かった。

三塁線のライナーを横っ飛びで捕ったかと思えば、ゴロはショートゴロもほとんど捕っていた。「動物的な勘」って呼ばれていた。

ひどいときは、セカンドの土井の正面のゴロを「長嶋さんが前を通って」、ゴロを処理したという話は、土井の誇張もあるかもしれないが、長嶋ならさもありなんという感じだ。

横っ飛びして、立ち上がるときの格好良さ。歌舞伎から取り入れた、ゴロを送球した後の指先の決めなど、一つ一つが格好良かった。

子どもはみんな、三塁を守りたがった、ような気がする。みんな、長嶋になりたかった。

しかしやがて長嶋も、長嶋たりえなくなっていく。

昭和49年10月14日、後楽園球場での引退セレモニー。

不思議なのは、長嶋の引退の挨拶を見ながら感じた想い。

その3年前、昭和46年に横綱大鵬が引退したとき、大横綱の引退だったが、なぜか時を経れば大横綱はまた現れると思った。

優勝32回の大記録を作った、あの大鵬でさえも。

長嶋に対しては違った。長嶋のようなスターは、もうしばらくは現れないなと、中学2年生だった私は思った。

実際に落合にしろイチローにしろ、長嶋と比較されることはない。

長嶋が比較されたのは、例えば戦後のメディアの露出度のベストスリーは、美空ひばり・田中角栄に長嶋茂雄、という記事を読んだことがある。昭和が終わるころの話だ。

長嶋はプロスポーツというジャンルを超えて、昭和という時代の象徴だったから、その後の選手と比較される存在ではない。

日本の高度経済成長の中でスーパースターとなり、最後の打撃タイトルはドルショックの年、V9はオイルショックの年。

時代とともに存在した、スーパースターだった。

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