双羽黒は昭和の大相撲の最終盤、世の中がバブル経済に突入した頃に誕生した横綱だった。
西武ライオンズの工藤公康や清原和博などが「新人類」と呼ばれた時代、双羽黒も同世代の「新人類横綱」だった。
私自身もバブルの真っ只中、一番大相撲観戦から離れていた時期の横綱でもあった。
199cm、160kgの体は柔らかく、突っ張りからの右四つの型も柔らかだった。動きも俊敏だった。
優勝未経験での横綱昇進を後年、SNSなどで批判する声もあるけど、当時の世の中の空気は「イケイケドンドン」。
優勝しないまま横綱になっても良いし、昇進しなくても近いうちには昇進するだろう、という感覚だったと思う。バブル経済的な、楽観的空気。
双羽黒は同年代のライバルたちの中では、明らかに高い潜在能力を持っていた。A級の横綱になっていたと思う。
大相撲廃業については、詳しいことなど知るはずもないので書かない。
バブルの時代に横綱になり、そしてバブル経済のピーク時にプロレスに転向する。
しかし正確に言えば、バブル経済のピークの株価は、双羽黒がプロレスに転向する1か月前、1989年の暮れに史上最高値を付けている。
だから双羽黒のプロレス転向は、バブルの崩壊とともに始まっていたと言えなくもない。
正確に言えば、世の中が「まだ崩壊してないよな?、まだだよな?」と言い合って、バブル崩壊を必死に先延ばししていた時代だった。
時代として言えば、「受難の時代」。
双羽黒の廃業が無かったら・・・千代の富士の優勝回数も連勝記録も変わっていただろう。
そして次世代の横綱、曙や貴乃花との対戦を想像する。
23歳で曙が横綱に昇進した時、双羽黒は29歳。円熟期に入っていただろう。
曙の立合いからの馬力ある突っ張りを、柔らかい双羽黒はどう受け止めていただろう。
貴乃花とは対戦成績は拮抗していたとはいえ、取口が違い過ぎて、名勝負は少なかったと言われた曙。
双羽黒VS曙ならば、199cm対203cmの、ド迫力の名勝負が生まれたかも知れない。
双羽黒も曙も、プロレスよりも、その他の格闘技よりも何よりも、相撲の才能が一番だったことは間違いない事実だった。



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