下馬評をくつがえす、それも圧倒的な不利を伝えられる中での勝利ほど感動的なものはない。
昭和51年2月17日、WBA世界スーパーウェルター級タイトルマッチ。(当時は、ジュニアミドル級)
チャンピオンの柳済斗に挑んだ、前チャンピオンの輪島功一。この試合ほど下馬評をくつがえした試合は、なかなかお目にかかれない。
匹敵するのは、昭和49年のモハメド・アリVSジョージ・フォアマンの「キンシャサの奇跡」が思い当たるぐらいだ。それほど、凄かった。
当時輪島は32歳で、柳済斗に敗れた後、周囲からは引退を勧められたし、ボクシングファンの多くも、引退することを予想していた。
当時の世界タイトル防衛のタイ記録である6度の防衛を果たし、そのうえ一度は失ったタイトルを奪い返している。プロボクサーとして、充分過ぎる戦績を残していた。
戦前の予想は、圧倒的に輪島不利。
圧倒的不利、という言葉では足りないほど。
公の場で輪島はマスクをして、常に厚着をした。真冬の2月とはいえ、輪島は「風邪気味」「体調は、良くないよ」というのを周りに印象付けた。
すべてのマスコミは、輪島の勝利に対して悲観的だった。輪島が自分のボクシング人生のケジメとして、この試合を位置付けていると解釈していた、と思われた。
しかし輪島だけは、本気で勝つ気でいた。後は、三迫会長ぐらいではないだろうか。
公の場でのマスクは、「調子は良い、自分は調子が悪いフリをしているだけ」という、輪島の自己暗示だったのではないか・・・。
試合が始まり、始まってすぐから、輪島は柳を圧倒した。最初はみんな、輪島の破れかぶれのスパートだと思った。実は私も。
しかし輪島が柳を圧倒する展開は、回を追っても続く。何回進んでも、続く。
何ラウンド目だろうか、やっと本当に見ているすべての人が、輪島が柳を本当に圧倒していることに気付く。信じられないと思いながら。
最終15R、輪島は美しく燃えた。最後の右ストレートが、それまで無数のパンチを浴び続けた柳のプライドを崩した。輪島はKOで、王座を奪還したのだ。
昭和43年、25歳と遅咲きのデビューだった輪島。
昭和44年に日本王座を獲得したが、昭和45年2月に在日米軍のプロボクサー、ジョージ・カーターに敗れ、日本王座を失う。
カーターは体は大きかったし、筋肉も凄くて、そして強かった。身長もリーチも、輪島と同じ階級とは思えないほど大きかった。
負けてとき、遅咲き輪島もここまでかなぁと思った。背中を丸めて、リングを下りていく姿を今も覚えている。
2か月後にカーターにリベンジしたとき、9歳だった私は「この体格差でも勝てるのか!」と、本当に驚いた。
輪島が世界チャンピオンになるのは、その1年半後のことだ。



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