昭和45年12月3日、小林弘VS西城正三の現役世界チャンピオン同士のノンタイトル戦。
WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの小林弘と、WBA世界フェザー級チャンピオンの西城正三の10R。
私は10歳で、ボクシングもよく分からないけど、とにかく凄い試合だった。
試合内容については、YouTubeにも存在しているし、ここでは書かなくても良いと思う。
当時の記憶として、バリバリに格好良い、西城正三を応援していたのを覚えている。
小林弘が判定勝ちした時「いや、西城が勝ってた」と、ちょっとだけ思っていたような記憶がある。
西城は顔は良いし、センスも良いし、ニックネームも「シンデレラボーイ」だからね。
対する、小林のニックネームは「雑草」だ。
俳優にしても通用しそうな西城に対して、小林は市役所の職員みたいだったからなぁ。
言い過ぎかな? ごめんなさい。
私は全然応援していなかったけど、ここに小林弘について書こうと思う。
小林弘を「地味」と語る人が多いようで、私もそう思っていたけど、ボクシングを見たら違うよね。それは、私でも分かる。
オーソドックススタイルで少し左手を下げ気味で、いきなり右を出したりする。
ジャブ、ジャブ、ワンツーストレート、ではない。
むしろ派手な、中南米的なボクシングと感じる。
ガードを下げて西城を誘ったり、笑いかけたり。
そして、右のクロスカウンター。全然、地味ではない。
右のクロスが得意だからなのか、右の目尻をよく切っていたような。肉を切らせて骨を断つ、ってことか。
右クロスカウンター・・・あの「あしたのジョー」のモデルなのか?
分からない・・・リアルタイムで小林弘も「あしたのジョー」も見ていたけど、モデルだったというのは後年に知っただけだ。
イメージが違い過ぎるし・・・。
それまでレジェンドの白井義男・ファイティング原田の持っていた、世界タイトル防衛記録の4度を、一気に6度に記録更新する。
凄いことだった。
しかしもっと凄いのは、世界タイトルを失ってからのことだ。
小林は階級を上げて、ライト級で復活を目指す。
中南米的スタイルの小林は、パナマに乗り込んで試合をする。
相手は・・・あのロベルト・デュラン。
この試合にKO負けを喫して、小林は引退する。
このとき、ロベルト・デュランは20歳。小林は「こんな若造に負けるとは・・・」と言ったとか。
小林弘の技術だったら、若き日のデュランは若造だったのだろう。
YouTubeを見ると、かなり互角に渡り合っているように見える。
右のクロスのためには、相手の左ジャブを多少受けることは想定してのことだったのではないか。
ただ、デュランの「石のコブシ」のジャブの威力が想定以上で、それでダメージが積み重なったと憶測する。
小林の全盛期を知らず、デュランの全盛期を知っているボクシングファンは、なかなかこの話を信じない。
「普通に、ボコボコにされたんじゃないですか」、みたいに言う。
デュランが世界王座を獲得するのは、小林戦の8か月後のことだ。



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