大鵬については、昭和の大横綱として何度かブログに書いてきた。
どれもその偉大さを書いてきたわけだけど、今回は当時の空気を、出来るだけ正確に伝えたいと思う。
幕内優勝32回という、圧倒的な記録を作った大鵬。当時の第2位が双葉山の12回というのを見ても、如何に圧倒的な記録だったのかが分かる。
当然、大鵬は双葉山と比較されていた。結論として言えば、「やはり双葉山の方が上」というのが、好角家たちの通説だった。
双葉山の相撲は、まさに本格派の四つ相撲。美しい右四つの、横綱相撲を取った。
力士の理想を体現した、力士の中の力士だった。
対して大鵬は若手力士の頃から、「強いというよりか、負けない」という評価だった。
「コンピューター相撲」「勝ちに執着した相撲」などと呼ばれ、相撲が面白くないとまで言われていた。
179cm、128kgの双葉山に対して、187cm、150kg前後だった大鵬。
しかし大鵬の時代には横綱柏戸、大関豊山、関脇大豪など、大型の力士がいたから、大鵬だけが大きかったわけではない。大きいから強かったわけではない。
優勝32回も、年2場所制だった双葉山の12回は、優勝36回に値するという論理を展開する評論家もいた。間違いではないが、とにかく双葉山が上だった。
そして何よりも、双葉山には空前絶後の69連勝があった。大相撲の歴史上、もっとも栄光の記録というのは、この69連勝に他ならなかった。
だから時代の空気は、相撲協会や角界関係者や、ベテランの評論家に限り、大鵬の連勝を喜んでいたとは言えなかった、と思う。
もちろん、当時の大相撲ファンはワクワクしていた。リアルタイムで大記録を見たい、という空気だった。
昭和44年3月場所2日目、戸田戦で「世紀の大誤審」が起こる。
この取組の審判委員は、審判長の春日野以外の4人が戸田の勝ちを主張したと言われている。
YouTubeで見返してみると、戸田のいなしで大鵬の足が流れ、大きくよろめいていて、これが勝負判定に響いたと思われる。
これは凄く印象的な瞬間で、「あっ、大鵬が負ける」と、その瞬間の私の意識がよみがえってきた。
その場面があったから、大鵬不利と審判委員の目に映ったと思われる。
ただこれは客観的な状況だけど、春日野と、物言いをつけた千賀ノ浦と松ヶ根は主流派の出羽海一門、君ヶ濱は双葉山直系の時津風一門。
大鵬の二所ノ関一門は、尾車だけだった。
そしてこれも客観的にだが、YouTubeでは、協議の中で一番積極的に発言していたのは尾車にも見える・・・。
とにかく、難しい判定だったのは間違いない。
もう一つ言うと、双葉山が没してから、まだ3ヶ月も経っていなかった。
そしてもう一つ、この「大誤審」が切っ掛けとしてビデオ判定が導入されたと言われているが、これには逸話が残されている。
NHKとの間では3月場所を研究期間とし、5月場所からビデオ判定が導入されることが決まっていた、という。
もう1場所、早かったなら・・・。
と、思ってしまう。



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