昭和の土俵で、幼稚園児だった私に「戦う男」を感じさせた力士は若鳴門

昭和40年代の力士を代表する取口、体付き、表情、佇まい。

これらを象徴する力士は、若鳴門に尽きると言っても過言ではない。極めて、私見ですが。

182cmで115kg、最高位は前頭6枚目。

前頭の6枚目だから、横綱と当たる位置ではないので、当たり前だが若鳴門には金星が無い。

幕内在位は20場所と多くはないが、しかし足掛け7年を幕内で過ごしている。

十両に落ちても、5度の幕内返り咲きを果たした。

決して上位陣の一角で活躍した力士ではないが、昭和40年代の土俵と言えば、なぜか一番に思い浮かべる力士だ。

相撲の取口は、筋肉質の体で吊り寄りや投げで攻めた。気風が良いというか、真っ向勝負の力士だった。

突っ張りも思い切り良く、歯切れの良い突っ張りだった。

115kgの体は昭和と言っても、やはり軽い方で、吊り上げようとすると吊り返される。そして若鳴門は、さらに吊り返す。

投げようとすれば、投げを打ち返される。さらに若鳴門は打ち返す。

だから若鳴門の相撲は、いつもスリリングな展開となった。

そして顔付きはいつも、頑固そうなオヤジ風の、しかめっ面だった。

仕切りの時に塩を舐める、それが若鳴門のルーティーン。

塩を舐めて「しょっぱいなぁ」という感じで、しかめっ面はより深く濃くなった。

知られていることだが、若鳴門には右足の親指が無い。

力士として、最も必要とする大事なところ、鍛えないといけないところが、元々無い。

飛んでもないハンディキャップを抱えながら、常にしかめっ面。

「戦う男」、を感じさせる力士だった。何てこと言って、私は当時小学校にも入学していない幼児だったけど・・・。

兵庫県の、現在の南あわじ市の出身。

同じ春日野部屋の先輩で、同郷の鳴門海に因んで、四股名を若鳴門とした。

力士の中でも、特にオヤジに見えたけど「若」鳴門。幼児の私は、「若」の字の意味も分からなかっただろうけど。

その四股名から、海の男のイメージもあった若鳴門。煙草を吸いながら、船の上で網を引いていても似合っただろうと勝手に思う。

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業師とか曲者ではない、突っ張り、組んで、吊って投げて、そして寄る。

けれんみの無い相撲とは、こういう相撲のことだろうと思う。

引退後は千田川を襲名し、長く相撲教習所の指導員を努めた。

これは、若鳴門のイメージにピッタリだった。

厳しかっただろうな。顔だけでも、恐そうな指導者って感じがする。

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足掛け7年の幕内で、二桁勝利は一度もなかった。それでも、時が経っても風化しない存在感。

昭和40年代の土俵と言えば、塩を舐めて、しょっぱそうに眉間にしわを寄せ、相手を軽く睨んで仕切りに入る、若鳴門の姿が目に浮かぶ。

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