「今牛若丸」、藤ノ川。178cm、108kg。
昭和の土俵ではニックネームが付いた力士が多かったが、その中でもニックネームに誇張なしと堂々と言えるのが、「今牛若丸」藤ノ川だ。
筋肉質でお腹はペッタンコ、まったく無駄な肉は無かった。
そのうえ顔は精悍そのもので、いつも怒っているような表情だった。
藤ノ川は攻めも速かったが、攻守が入れ代わる展開の中での、向き直って攻め返す、その反応の速さが常識外れに凄かった。
運動神経と全身のバネが、尋常じゃないレベルだったと思われる。
20歳の若さで入幕し、3場所目の昭和42年3月場所で旋風を巻き起こす。
3日目に横綱佐田の山から初金星を上げるのだが、その相撲内容が普通じゃない。
立合いに当たってすぐに右に変わって、佐田の山の首根っこの辺りに右腕でラリアットをかましている。
たぶん決まり手は叩き込みだったろうが、「はたきこみ」ではなく「たたきこみ」と読むべき叩き込みだった。
佐田の山にはどちらかと言うと強面の横綱とのイメージがあったのだが、四つん這いになっている佐田の山の横を、藤ノ川は悠然と引き上げていた。
なかなか横綱相手に変化もしづらいだろうし、さらには首根っこを殴りつけているのだから、20歳の力士が。
この場所は12勝3敗で、殊勲・技能賞のダブル受賞だった。
7日目、藤ノ川の元結が外れて、ザンバラ髪になった福の花戦も凄かった。
激しい展開の中、ザンバラの髪を振り乱して、張り手を狙う福の花を両差しで寄り切ったが、見る者は藤ノ川の迫力に圧倒された。
本当に地獄から生還したような顔で、勝ち名乗りを受けていた。
コンマ何秒の世界を、藤ノ川は支配した。負けた相手も、「何で負けた?」みたいな顔をしていた。
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藤ノ川で一番印象に残ってるのは翌場所、昭和42年5月場所の4日目、横綱大鵬との一番だ。
前の場所に旋風を巻き起こし、新関脇となった藤ノ川は、大鵬を相手に「今牛若丸」の真骨頂を見せた。
大鵬に攻め込まれた土俵際で、片足は土俵の外に出た状態で逆転勝ちをする。
さすが藤ノ川、と思っていたところ、大鵬は立行司の木村庄之助に「足が出てたじゃないか」とクレームを付けた。
かつて、控えの力士が物言いをつけた話は聞いたことがあるが、本人が物言いとは前代未聞。
もちろん、それから正式に物言いがついたわけだが、館内は騒然とした。そして行司差し違えで、大鵬の勝ちとなった。少し、モヤモヤとした。
藤ノ川の足は出ていたのかもしれないが、あの体勢でも原状復帰出来てしまうのではと思わせた藤ノ川だった。藤ノ川なら・・・と。
ところでYouTubeなどで見る藤ノ川の映像、大麒麟との取組に激しい相撲がいくつか残っている。
得意のラリアットのような叩き込みも見られ、闘志に溢れた相撲を見せている。
大麒麟(当時は麒麟児)は横綱柏戸に強く、たびたび苦杯をなめさせていたので、藤ノ川は弟弟子として敵を取ってやろうという感じだったのだろう。
動きの速さだけでなく、高見山や義ノ花という大きい相手に決める豪快な二枚蹴りも凄かった。
高見山の体が一瞬で、見事に宙に舞った。当時テレビで「柔道一直線」を見ていたが、そんな感じで漫画みたいに見事に決まった。
月日は流れ、場所は九州国際センター。中入か何かで時間が空いて、館内の外れの、あまり人がいないスペースをブラブラしていた私。
誰もいないところに、そろそろ定年の元藤ノ川の伊勢ノ海親方が、ぽつんと一人でいた。
緊張した。現役力士を見ても緊張することは無いが、昭和の力士は子どもの頃のヒーローだ。
あの昭和42年5月の大鵬戦、やっぱり足は出てたんですか? と、訊きたかった。
さすがに物言いがついた結果での差し違いだし、仮に藤ノ川の足が出ていなかったら、藤ノ川も黙ってはいないだろうから、足は出ていたと思う。
だから、そんなことを訊けるはずがない。
でも、、「いやぁ、あの足はね、実はギリギリで宙に浮いていて、砂を掃かずに土俵に戻ったんだよ」って、もし藤ノ川が答えていたら・・・。



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