星野勘太郎と山本小鉄のヤマハブラザーズも、プロレスに接した頃に衝撃を受けたタッグチームだ。
ロープ最上段からの、流れるような連続攻撃。
子どもだったから「反則じゃないの?」と、まずは思った。
リズミカルな連続攻撃で、星野と山本は次から次へとロープ最上段からダイブする。
見ていて、あれほどに爽快感のある、面白いプロレスは初めてだった。
星野はガチの喧嘩に定評があり、時代が時代なら格闘技系に出ていただろう。
山本は新日本プロレスの創設メンバーで、「鬼軍曹」として長く道場を支えた。
二人とも身長170cmながらも、メチャメチャ強かったわけだ。
星野勘太郎は、やっぱり昭和45年の9月から11月に開催された第1回NWAタッグリーグ戦だ。
アントニオ猪木のパートナーとして出場し、ニック・ボックウィンクル&ジョニー・クインとの決勝戦。
猪木がボックウィンクルに卍固めを決めたところで、転がるように飛び込んでクインをカットした星野の動きは記憶に残っている。
シリーズにはアーニー・ラッド&ロッキー・ジョンソンなど、実力も注目度も高いレスラーが多かった。
そのうえ馬場と猪木の関係に、徐々に緊張感が出始めた頃だ。
昭和44年のワールドリーグ戦で猪木が初優勝し、この年、昭和45年は馬場が優勝していた。
だからタッグリーグ戦は、注目された。さらに、NWAの公認というのも重みを増した。
このシリーズの馬場のパートナーはミツ・ヒライ、地味だった。
星野は活躍した。猪木の名パートナーと言えば吉村道明だったが、吉村という高いハードルに挑んで、かなりのレベルで吉村に近づいた。
だって、アーニー・ラッド&ロッキー・ジョンソンや、ニック・ボックウィンクル&ジョニー・クインって、アジアタッグに挑戦するレベル以上のレスラー達だったから。
もう一つ、忘れられない試合は昭和46年の2月、ミル・マスカラスの初来日の第1戦を努めた試合だ。
最初の相手が星野だったからこそ、マスカラスの伝説は始まったと言われている。
その通りだと思う。とにかく、凄い試合だった。
当時のマスカラスは、ドロップキックが30連発だったか、来日前の過剰報道が多かった。
だいたい30発もドロップキックを連発出来る以前に、受けることが出来るレスラーがいないでしょ。
過剰な期待からか、フライング・クロス・チョップが思いのほか高さが無いね、という話があった。
そこでの反論が、「高さがあった方が、フワッとなってしまう」
「チョップの威力優先ならば、あのように低空飛行になるのは当然だ」
「それが証拠に星野勘太郎は、あんなに見事に吹っ飛んでいたではないか」
これらの、どの意見にも説得力があった。
それは、星野の見事な受け身があったからこそ成立した。
ヘッドシザース・ホイップでも、星野は美しく宙を舞った。
フィニッシュのダイビング・ボディ・アタック、3カウントが入って起き上がった星野の口から、血がタラーと滴った。
これは衝撃だった。そして、マスカラスVS星野は最高の作品に仕上がった。
タイガーマスクVSダイナマイト・キッドと同様、初お目見えのレスラーの試合を努める相手レスラーの重要性は計り知れない。
星野勘太郎は格闘技系もいける、受け身で相手を引き立たせることも出来る、タッグパートナーとして試合を組み立てることも出来る、まさにプロフェッショナルのレスラーだった。
さて、今回はヤマハブラザーズの回だから、山本小鉄についても書かなければならない。
猪木が独立して、テレビも外人レスラー招聘のルートもない、ボロボロの時代を支えたのは山本小鉄だった。
しかし、レスラーとしてのエピソードは少ない。
ただただ、ゴリラ・モンスーンVS山本小鉄がネット上で見ることが出来たら、と思う。
これだけは、ミル・マスカラスVS星野勘太郎に匹敵する試合だったと思われるが、私の家のテレビもプロレスが映らない時代だったし・・・。
そもそも、テレビマッチでなかっただろうし・・・残念。



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