身長と体重がほぼ同じ、超アンコの若見山は三羽ガラスで大関候補だった

柏鵬時代全盛の頃、同世代の有望な若手力士が一斉に登場した。

その中で関脇にまでなった若見山は、有力な大関候補だった。

昭和39年1月場所、新入幕で10勝5敗と、二桁勝利を上げたのは若見山が20歳の時だ。

同じ場所で北の富士も新入幕で13勝2敗、入幕2場所目で14勝1敗の清國とともに、「若手三羽ガラス」と呼ばれた。

この3人に、琴櫻と玉の海(当時玉乃島)が大関レースに加わり、少し遅れて大麒麟と長谷川も参戦する。

昭和40年代前半の大関レース。ここから北の富士・玉の海・琴櫻の3人が横綱となり、清國と大麒麟の2人は大関に、そして長谷川は最強の関脇と呼ばれた。

若見山だけは大関レースから早期にフェイドアウトしていったが、入幕当初は若見山への期待は大きかった。

梅常陸時代を作った横綱の2代目梅ヶ谷と同じ富山県出身ということで、同じく超アンコ型だった若見山は「3代目梅ヶ谷」を期待された。

177cmで176kg、当時でも170kgを超える力士は、そうはいない。

横綱鏡里、大関若羽黒でも、一番大きかった時で170kgには届かなかったと思う。

右四つに相手を引っ張り込み、体格を利して、じっくりと、ある時は強引に寄り進んだ。もちろん、極め出しも得意中の得意手。

身長と体重が同じぐらいというのは、昭和の力士としては極めて異例だった。

異例というか、まず間違いなく稽古不足と言われた。

そして若見山も、実際に稽古不足だったようだ。

今の土俵では、熱海富士が体重の数字が身長を超えている。197kgだから・・・。

さすがに、これは熱海富士一人のようだ。若見山でさえ、身長が体重を「1」上回っていた。

他に身長と体重の差が一桁の力士は、幕内に3人。大の里と王鵬と御嶽海だ。

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若見山は糖尿病の影響もあって、26歳の若さで引退する。

ちなみに、北の富士・玉の海・琴櫻・清國・大麒麟・長谷川といった大関レースのライバルたちとの対戦成績は、合計で25勝27敗と健闘していた。

実力は、立派な大関候補だったのだ。

若見山はリアルタイムでは凄く太って見えたものだが、今YouTubeで見てみると、それほどでもない。

近年の土俵で、目が慣れたのかな。

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