家のテレビでプロレスを見られるようになって、最初の衝撃の場面は、ジャイアント馬場を血だるまにするブルーザー&クラッシャーだった。
殴る、蹴る、流血させる。この時の試合で、馬場&猪木はインタータッグタイトルを奪われている。昭和44年の8月のことだ。
その次に、レスリングとしての衝撃は、ヒロ・マツダVSダニー・ホッジだった。これは、昭和44年11月のことだ。
若きNWA世界ヘビー級チャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアの初来日が注目されたシリーズで、シリーズの名前もNWAシリーズだった。
NWAシリーズだから、NWA世界ジュニアヘビー級チャンピオンのホッジも来日し、元NWA世界ジュニアヘビー級チャンピオンだったマツダも参加した。
この時点で、マツダとホッジに関する情報を何も持たずに試合を見た私だった。
まぁ、本当に、クルクルと、腕の取り合いから取り返し。ブリッジしたり、されたり。
攻守が切り替わる展開と、漂うピリピリとした緊張感。
「こういうプロレスがあるのか」、その時に感じたのは、たぶんそういうことだと思う。
8月にブルーザーとクラッシャー、9月はデストロイヤーとキラー・バディ・オースチンが来て、デストロイヤーにしても当時は凶器攻撃もしていたし・・・。
とにかく外人レスラーは殴ったり蹴ったり、そして反則もして悪い奴らで、それがプロレスというものだ、と思っていた。
しかしホッジは、反則は少ないけど、恐かった。威圧感があった。あの怒っているような顔に、プロボクサーのような、無駄のない筋肉質の体。
顔も恐かったけど、体も筋トレで出来た筋肉ではない、本当に強そうな体。当時、ホッジは37歳。
同時に来日したドリーが、八の字眉毛で優しそうな顔をしていたのとは対照的なイメージだった。
ホッジを語るなら、インタータッグタイトルマッチも忘れられない試合だ。
ドリーもホッジも、NWA世界のチャンピオンベルトをして登場した。馬場よりも猪木よりも、まったく格上の雰囲気を漂わす。
猪木なんて、まだ26歳。NWAに挑戦する直前ではあるけど、ホッジと対峙すると本当に若いって感じだった。
もう試合が始まる前から、これはドリーとホッジの方が強いんじゃないか、と思ってしまった。
試合が始まったら、馬場と猪木、どちらが攻めてもホッジにすぐに切り返される。腕の取り合いとか、切り返すのは、ドリーも同じく半端なく巧かった。
テーズから続くNWAスタイルは、序盤でのグラウンドの攻防が基本であって、それを受け継ぐホッジとドリーは、この部分で馬場と猪木を完全に圧倒した。
「あぁ、こりゃ負ける」と思って、私はチャンネルを変えた。
プロレス中継を途中で見るのを止めたのは、後にも先にもこの試合だけだ。
だって本当に、攻めても攻めても取り返される、何か夢も希望もない展開に見えてしまったのだ。
テーズ、ゴッチ、ドリー、ロビンソンは、文句なく巧いな強いなというプロレスラーだけど、「恐いな」という感じは、ダニー・ホッジが一番だったと思う。
それはその後のホッジに関する逸話を知ってというのもあるだろうが、あの日のチャンネルを変える瞬間の意識だけは覚えている。
「あぁ、こりゃ負ける」と、ガッカリしてチャンネルを変えたのではない。
負けるのを見るのが嫌で、思わずチャンネルを回したのだ。
回さずには、いられなかった。(リモコンは当然、まだ無い)
ホッジについては、UFCとか格闘技系のイベントが当時あったら、絶対にホッジは凄かっただろうと、多くの人が思っている。
ヒクソン・グレイシーや小川直也と闘っていたならということだけど、ただホッジの逸話で「目がトロンとしたらヤバい」って話がある。
やっぱり出ない方が、ホッジも他の選手も、何事もなく平和な日々を・・・。



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