実力世界一の佇まいだった、ドン・レオ・ジョナサンのファイトスタイル

ドン・レオ・ジョナサン

「人間台風」、ドン・レオ・ジョナサン。

最強だったレスラーは?、という話題になると、必ず名前が上がるレスラーだ。

196cm、140kgで、ギリシャ彫刻を思わせる見事な筋肉質の体。

運動神経抜群な動きには柔軟性もあり、パワーも底知れないものがあった。

ジョナサンが抜群の強さを発揮したのは、昭和45年の第12回ワールドリーグ戦に尽きる、と思う。

この時、ジョナサンは39歳。まだまだ、全盛期と言える年齢だ。

とにかく勝ち方が、相手レスラーが全く勝ち目がないという勝ち方をした。

ジョナサンは手足も長いので、小柄な中堅の日本人レスラーは、ジョナサンの懐にさえ入れないまま試合が終わる、という感じだった。

ジョナサンはアメリカでヒールだったが、反則をするヒール、あるいは暴力的なヒールの、どちらでもなかった。

体の大きさやパワーの違いを、嫌らしくアピールするタイプのヒールだった。言い換えれば、相手を舐めた態度で試合をする。

そのアピールと試合態度で、相手レスラー(ベビーフェイス)や観客は熱くなっていくわけだ。

しかし相手レスラーがチャンピオンクラスなら良いが、小柄な中堅レスラーが反則されることもなく、体の大きさとパワーの違いを見せつけられただけで負けたら、たまったものではない。

舐められたままで、試合は終わる。

観客は熱くなる暇もなく、「ジョナサン、本当に強いなぁ~」で終わりなのだった。

手足の長いジョナサンが両手を目一杯広げて、相手を裏返して担ぎ上げる、ハイジャックバックブリーカーは凄かった。

ギブアップする日本人レスラーが、本当に小っちゃく見えた。そして、弱く見えた。

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第12回ワールドリーグ戦の優勝争いは、緊張感に溢れていた。

前年の第11回はアントニオ猪木が初優勝、ジャイアント馬場の4連覇を阻んでいた。

猪木が連覇を果たして、猪木時代の到来なるか。

限界説を吹き飛ばして、馬場が覇権を奪還するか。

BIコンビの対立を、初めて感じたシリーズとなった。

ジョナサンを相手として、馬場と猪木はどんな戦いを見せるのか注目された。

昭和45年、当時の私は「馬場も猪木も、ジョナサンには勝てないだろう」と、真剣に思っていた。「こりゃ、勝てるわけがない」、と。

馬場とジョナサンは、30分時間切れの引き分け。これは順当だった。

そして猪木とジョナサンの試合、当時小学校4年生だった私には、スポーツ新聞を買うという発想は無かった。

テレビ中継でも詳しいことは語られず、猪木がリーグ戦でジョナサンにフォール勝ちしたことは、別冊ゴングを読んでから知ったほどだった。

ジョナサンには勝っても、クリス・マルコフ戦の反則負けが響いた猪木。

ワールドリーグ戦の決勝戦は馬場が勝ったが、ジョナサンのドロップキックの自爆の記憶が残っているだけで、試合内容は肩透かしを食らったようなものだった。

ここまで書くと、私が猪木派だったことが分かるけど。

しかし猪木がジョナサンに勝った現実は大きく、猪木の方が馬場より強いと思わせるに値するほどのことだと感じた。

翌年の第13回ワールドリーグ戦後の、猪木のインターナショナル王座への挑戦表明の伏線にもなった、それほど意味のある試合だった・・・かもしれない。

その後、国際プロレスや全日本プロレスにも来日したジョナサンだったが、もう昭和45年の時の凄味は無かった。少し、太っていたし。

サイドビジネスなどしないで、もっとプロレスに貪欲だったなら、ジョナサンは実力世界一だっただろうと言う人は多い。

どうだろう、それも含めてのジョナサンの個性だから。

馬場も猪木も勝てそうにないと思ったのは、ジョナサンの余裕ある表情と試合での佇まいにあったからだ。

そのスタイルは、世界チャンピオンに挑戦していた若き日のジョナサンにとっては、チャンピオンを小馬鹿にするヒールらしさを際立たせた。

そのスタイルは、40歳代に入ってからのジョナサンにとっては、勝ち負けに拘らないレスラーという雰囲気を漂わせるものだった。

そのスタイルは、昭和45年の39歳だったジョナサンにとっては、「最強」のレスラーというイメージを膨らませるに充分のものだった。

映像で見ていない猪木VSジョナサン、ブレーンバスターでピンフォールを奪ったとはいえ、カウントスリーはギリギリだったろうな、と想像する。猪木派だった私でも。

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