「関所の番人」、曲者の海乃山は正攻法でも強かったし、朝青龍にも似てた

曲者力士

眉間にシワを寄せ、への字に口を結んで、海乃山はいつもそんな感じの、しかめっ面で不機嫌そうな表情だった。

何をしでかすか分からない、曲者の匂いがしていた。

当時の大相撲誌で、海乃山が少し顔を右に傾け、目を細めるようにカメラを睨んでいる写真があった。

こういう表情の人とは、あまり街では出会いたくない。ざっくりと言えば、因縁をつけられそうな顔だった。・・・あくまでも、そんな雰囲気という話だけど。

立合いの蹴手繰りが十八番。いきなり仕掛ける技だから、義理も人情もない。

一度当たってから変化するということはなく、すれ違いざまに決める。

横綱の大鵬も、これでやられている。だいたい大鵬は立合いに踏み込む方ではなかったが、海乃山は踏み込んで大鵬の足を蹴り上げた。

そして悪びれることもなく、クールに勝ち名乗りを受けていた。

アウトローのイメージというか、私が子どもの頃によく見ていた時代劇に出て欲しかった。

三度笠の旅姿で爪楊枝などを咥えたら、海乃山は最高に似合っていただろうなぁ。

立合いの奇襲だけでなく、前捌きの応酬の時などの蹴返しも得意手で、相手は警戒しているのに決まった。警戒するから、よけいに腰を引いていたのかもしれない。

首投げも見事だった。小兵の海乃山を支点にして、相手力士はキレイに宙を舞った。

苦し紛れという感じではない、美しい首投げだった。

申し遅れたが、私が最初にファンになった力士は、この海乃山と廣川だ。海乃山は渋くて、格好良かった。

身長172cmは昭和40年頃の幕内力士の中で、たしか一番小さかったと思う。入門の規定も、172cmぐらいの時代だったし。

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蹴手繰り、蹴返し、首投げと曲者らしい決まり手と、アウトロー的な風貌と雰囲気の話ばかりしてきたが、172cmの海乃山は正攻法でも強かった。

そりゃ、相撲が強くないと関脇を張れるわけがない。

出羽海部屋所属で、佐田の山や栃ノ海で有名な出羽海一門の猛稽古の中で鍛えられた。

昭和40年代後半から頭角を現した、同じ出羽海部屋の、やはり小兵の名関脇だった鷲羽山も正攻法で強かった。

鷲羽山は175cmで110kg、海乃山は172cmで120kg。

同じように正攻法で強くても、鷲羽山はスピード、海乃山にはどっしりとした力強さがあった。

相撲の型としては、後の朝青龍に近かったと思う。何でも出来る、万能型の正攻法の力士。

そう言えば朝青龍も、立合いの蹴手繰りで稀勢の里を転がした相撲があった。

だから海乃山と朝青龍は相撲の型だけでなく、ふてぶてしい佇まいの悪役キャラというのも共通点だったわけだ。

昭和40年代前半に入幕し、曲者とか業師と呼ばれた藤ノ川・栃東・陸奥嵐・二子岳といった力士とは少し趣が違う、本当に嫌がられた「曲者の中の曲者」と言える、と思う。

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出足相撲の北の富士などは、格好の獲物だった。対戦成績は、海乃山の5勝6敗。

ちなみに北の富士が出羽海部屋を出るのは大関昇進後だから、対戦はすべて大関時代の北の富士だ。

ぶちかましの琴櫻には、海乃山が13勝15敗。大関昇進後の琴櫻には、何と海乃山の7勝4敗。

清國にも、海乃山は12勝13敗。当時の期待の若手力士にとって、海乃山は嫌らしい存在だったと想像する。

玉の海だけには3勝18敗と分が悪かったが、海乃山は昭和40年前後の土俵で「関所の番人」だったと言える、と思う。

ただ海乃山は二桁勝利と二桁負けが多く、その「関所」の番付は激しく上下動したけれど・・・。

蹴手繰りなどの注文相撲は、腰の故障が影響していたようだ。

小さな体で関脇を張った海乃山は、故障には勝てず29歳で引退する。

それは北の富士と玉の海が優勝を争って横綱に昇進する、昭和45年1月場所のことだった。

「関所の番人」が役目を終えるのに相応しい場所だった、と思う。

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もし立合いの変化に厳しい現代の土俵に海乃山がいたら、その悪役振りは増していただろうし、SNSでも批判されただろうなぁ。

それを横綱を相手に仕掛けるのだから・・・。

最後にもう一つ、二子岳の外無双で海乃山が、ものの見事に吹っ飛んだ場面も忘れられない。

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